もし出産間近に胎動がない、おかしいなと思った方、すぐに病院に連絡してくださいね。
なんでもなかったらそれでいいんです。けれど、おかしいなと少しでも思ったなら連絡してください。取り越し苦労ならもうけものです。
私の場合は帝王切開予定日の前日に胎動がなくなり、たまたま翌日出産予定日だから産院に行って気づきましたが、もし病院にも連絡せず、ほうっておいたらと考えると、今でもゾーとします。
結局なんだったかというと…
帝王切開前日に胎動がなくなり、おかしいなと思いながら翌日産院に行ったら、胎児に腹水がみられるので、大きな病院へ。
大きな病院で帝王切開、赤子は緊急手術。
結果、回腸軸捻転症。
小腸が捩じれて肥大化、壊死しておりそれで腹水が見えたそう。小腸を30cmばかり切って、バイパス手術、NICU(新生児集中治療室)に2週間、普通の病棟に1週間入院。
元気に退院して、1年半の経過観測後、今は病院通いは終了。
娘は退院後から今まで至って元気です。お腹の傷がなければそんな手術があったこと忘れちゃいそうなぐらい、もりもりよく食べます。
記録として詳細な経過
離島に住んでいるので、出産前までは松江で待機ホテル生活でした。参考はこちら。
逆子がなおらず帝王切開が確定してしまったので、帝王切開予定日の前日から夫に島から松江にきてもらって、赤子が生まれたら当分しっぽりした居酒屋なんて行けないと最後の晩餐を「手打ち蕎麦と日本酒 誘酒庵」で楽しみ、映画館だって行けないよねーと大好きなボーンシリーズの「ジェーソン・ボーン」を楽しんでました。(そんな細かい情報いらんって 笑)
しかし、夕方の蕎麦のあたりから「そういや胎動がないな」と気づき、映画のドンパッチやかましい間も胎動がない。うーむ。
もちろん、夜も翌日朝もない。うーむ。
出産予定の個人病院マザリー産婦人科に行って、事情を話、お腹をみてもらって「腹水が見えますね」と。もちろん、その前の検診ではなにも異常がなかったし、熟練の先生だから見落としってこともない。
心音はあったので私自身はそんなに焦ることもなく、先生も「腹水が見えるけどなにかまでわからないし、なにかあったときにここでは対応できないから念のために日赤(赤十字病院)に行ってくれる?」と軽めに言ってくれて、「もしかしたら、なにもないかもしれないけれどね」と。ここで10時前。
私も軽く、「日赤ね。でかい病院、いややな」と思いながら、同じ松江にある日赤に行く。
入院手続きもして病室にも案内されて、服も着替えさせられて、説明して、なぜか大嫌いな内診もやられて、「うちじゃ無理です」って…。おいおい、ここまでやってかい!と。
帝王切開後、赤子に外科手術が必要になりそうだが小児外科の先生がいないそう…。そんなことってあるだ。という訳で、「医大に行ってください」と。ここで12時ぐらい。
医大、島根大学医学部付属病院、出雲市にあります。松江と出雲はざっと車で40分ぐらい。遠い。全然知らない。
私は救急車で運ばれ、夫は車で後をついてきてくれて、救急車の中では産科の先生がついてきてくれて、ずっと胎児の心拍を計ってくれている。
わたし、そんなことでも全く緊張感なく、心配事はただ一つ。「医大ってきれいなの?お化けでそうなところじゃないよね」と、のんきにそんな質問を先生にしてました。
医大、きれいです。ピカピカです。よかった。
救急車で到着後、なぜかストレッチャーに乗せられて、事前検査にまわされ、医大の天井しか見ることできずに、医大の雰囲気が全くわからないまま先生と面談。
ここで、とても頼りになるとても感じのいい産婦人科の女医さんと、またこれも感じがよい小児外科の女医さんの説明を受けて、「胎児は出してみないとわからない。3000gで十分育っているので手術しても大丈夫」みたいな感じで判断早くて気持ちいい。ここで15時ぐらい。
17時、ここでやっと予定通りに帝王切開。18時出産。
赤子は一目見て、抱っこもできずに連れられて行って、23時から手術。2時間で終わると聞いていたのが、5時間もかかり、待っている間やっと「ヤバい」と気づく私。
「もしかし抱っこもしてないのにもう会えないかも」とハラハラし始めたのが、この時点。楽天的でよかった。
赤子のお腹を開いた結果、事前の予測通り小腸が途中で捻じれてそれで詰まって肥大化。壊死して腹水もあり。手術内容は捻じれていた部分の小腸(約30cm)を切除、バイパス縫合して無事終了。
ほんとうに不幸中の幸いで、体重が3000g十分にあって、どの先生たちの判断も早くて、小腸を切るのも30cmというのは軽度の方で、あと1日遅いと小腸全摘や最悪のことも考えられたそう。
更に、産まれたあとに小腸捻転がおこったりしたら、ミルクがもれるので、これまたたいへん。大人だったら食べたものが小腸から内蔵に流れだすのでもっとたいへんらしい。
この後、NICU(新生児集中治療室)生活が始まるのですが、幸い、一ヶ月とも二ヶ月とも言われた入院生活がなんと三週間で終わりました。
原因はわからないって
NICUでチューブにつながれた娘を見たとき、もう後悔しかない。
妊娠生活失敗しましたと烙印を押された感じでかなりつらかった。
先生に原因を聞いたところ、わかってないとのこと。
退院後、一ヶ月検診に小児外来に赴き、なにもなければ半年後、更になにもなければ1年後、病院に行きました。
そこで、何度もお腹がおかしくなったときの症状を聞いて、おかしかったらすぐ電話してね、すぐヘリで飛んで来てねみたいな。
最後の最後に先生から聞けたお話が、胎児は小腸を何度かおかしくするようで、腸捻転で壊死させてもその腸は消えてなくなり、再生しているらしい(?かどうかはうやむや)。
それをどのタイミングでやってるかで、たまたまうちの子は出産間近にわかったとのこと。だから、妊娠生活でなにが原因っていうことも特定できないとのこと。
娘が一歳になる頃、「うまれる」という映画を見て、死産になってしまった方がいました。
うちもこの一歩手前だったんだなとしみじみ生きてくれてありがとうと思うのであります。