【今日の学び】 自由な傾向の子育てをしていると公的空間の態度が危険になりがちな話

2020年に下書きに書いていました。なんだか懐かしくてあげときます。

大人ならあたりまえのことなんですが、子育てしているとなんかいろいろ抜けてきてしまうから、教訓をこめて。

当たり前のことなんですが、公の場所と個の場所は違うわけです。

子どもができて、なおかつ自由な傾向にいっちゃうとついつい疎かになっちゃうという話。

私は、どちかと言うとあまり叱らず、過干渉になりすぎないように、子どもの個を尊重して育てといと思っています。

いわゆる「怒らない親」です。

自信がなくて怒れないという訳でもなく、注意はするけれど、そんな怒ることではないということが多いです。

それに、怒ると疲れる。一度指摘を受けて怒ってみました。許容範囲を超さないけれど、甘やかしすぎてはいけないと怒ってみました。

で、疲れただけです。

よっぽど怒らず、あなたが言っていることもわかるよと理解した風にして、「でもダメなんだ」とか、「母はとても困ってる」とか「後からね」とか言ったほうが、よっぽど楽です。

そうやってみたら、やっぱり、叱ったり、ましてや感情的に怒ったりすることは意味がないとさえ思っているのです。

もちろん、母の虫の居所が悪いと普通に怒りますが…。

できれば、口やかましく言いたくないし、やりたいことをなるべくやらせてあげたい。

なぜなら、子どもは自分が興味あることを吸収するというエビデンスもあるからです。

やらせるのではなく、自ら進んでやりたいことをやり学んでいって欲しいと思うのです。

しかしながら、この考えにきちんとメリハリをつけなければどんどん、公の場所でほったらかしのうるさい迷惑なガキになる可能性ががあるのです。

そんなスタンスでいたらついつい私の境界線がゆるくなってしまっていたのです。

一度やばい!ときづいたのは、支援センターの集会で1歳の娘が引き戸ドアだけでしきられている、おそらく年長さんの部屋にこそといってすぐそこの引き出しにあったノリで遊んでしまったのです。

が、なんてことでしょう。私、放置。子どもが遊んでいるのだからしょうがないわ と。

気づいた保育士さんがいそいそと片付けいるのをみて、私、やばい!と気づいたわけです。

他では、道沿いにあった井戸、おそらく人の敷地の井戸で遊んでしまったり。

神社の狛犬に乗ってしまったり。

そういった、公でやってはいけないことが自分の口やかましくいないポリシーで麻痺しているのです。

そう、なんとなくですが、自由な親のところの子はマナーがなってないみたいな。

個と公はきちんと線引きを。

もうね、当たり前のことなんですが、恥ずかしいことに麻痺してました。

離島に住んでいるから、知り合いの方も多いし、みんな大らかに見てくれて。

いえいえ、これは言い訳になりません。

親がきちんと公のときの態度、迷惑になるから小さい声で話そうね。とか、言うことを聞くは別としてこういったことは言い続けなければならないのです。

(しかし、そのスタンスで健診で、私はなんにも困っていないけれど、この場としてはうろうろさせるのはまずいよなと思い、「うろうろしないよ~」と声だけだして、いっしょにうろうろしていたら、よそから見たら子どもが言うことをきかない、聞かせられない困っている母風に見えてしまったのか、連絡が来たので、なんか手法をまちがったようです)

もちろん、小さいときにいい子すぎて、大人の言うことをを聞きすぎてなぜいけないか学ばないまま大人になってしまうというのは恥ずかしいのでダメです。

また、お母さんたちは過度に気にしすぎで縮こまる必要もないのです。

要はバランスとメリハリ。

なかなか学ぶ機会になります。

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