泳ぐことについては、島ならではの事情で「ほっておいたら泳げないかも!」と、とても心配になっていた。しかし心配をよそにに娘は泳いだ!
人間って教えなくても泳げるんだと胸いっぱいになった話。
立ったときより感動したかも。
この記事のもくじ
島の『泳ぎ』についての実情
島には島で育ったにもかかわらず泳げない子がいる。こんな海しか取り柄がないようなところに住んでいて泳げない。なぜ?
私はこの事実を人づてでしか聞いていなかったし、島の子は泳げる子が多いし、少し疑っていた。
しかし、本当に泳げない高校生に出会ってしまった。そう、これが島独特の島事情。なぜなのか?
まず、小学校で泳ぐことを習わない。プールがない小学校もあるし、プールがあっても石を拾って遊ぶ程度らしい。
もちろん、島にはスイミング教室なんてない。
では、みんなどうやって泳げるようになるのか?それは親のもと夏の土日は海に行ったりするうちに、泳げるようになるようだ。
そう、まず泳げるようになるために親が海にいっしょに行くことが前提。さらに欲張れば、子どもたちが自分の意思で行こうと思えば行ける海が必要。
昔はコンクリートに海を固められてなかったし、いっしょに泳ぎ遊べる子どもがたくさんいた。
私が住んでいる地区のすぐそこの海も、漁船には便利なようにコンクリートで固めた海岸になっている。
しかし、昔は磯(岩がごろごろした海岸)になっており、たくさんの友だちとよく泳いでいたと地元の人は言う。
今のコンクリートで固められた海には誰も泳いでいない。こんなに近くに海があるのに泳げなかった。泳いでいいものかとも思った。
地元の人はみんな船を持っているので、船で離れた磯に行き遊んでいるようだ。
しかし、Iターンは船を持っていない。そしてどうしたかというと、とうとうコンクリートで固められた港でも泳ぎ始めた。笑
私も8年目にして今年初めて泳いだ。仲間がいるってすてきと思った。
話が紆余曲折したが、昔とは海が違う、子どもの数が違うのだ。
上であげたように仲間がいるってやっぱりちがう。
いまは地区に一人しか子どもがいないところもある。
だから、現代では、親が海が嫌いだったり興味がなければ、海へ行く機会はまず失われる。
そして、もう一つの問題点。地元の人がよく言う「海に連れていったら勝手に泳げるようになる」論。なんとも乱暴な論理だ。
私も最初はそれを信じていた。しかし、ライフジャケットや浮き輪で楽しむ娘を見て、ここからどうしたらいいんだ?となった。
私は移住者だ。島では育っていない。泳ぐのはとても好きだ。海も好きだ。だけど、泳ぎは小学校で習った。
プールの端っこに立って両手をあげてそこから入水するあれだ。バタ足の練習だってしていた。
あんなことを親がしなくてはいけないのか?と絶望的になった。
さて、どうしたものか?と『泳ぐ』ことについてちょっと悩んだのである。
うちの子の場合
0歳から海に連れて行っている。
小さいときは怖がっていたけれど回数をこなしたせいか、昨年の年少(3~4歳)の頃から海を楽しむようになった。
楽しむようになったのは、森のようちえんに通わせているおかげ。夏は週3回は海に行っている。
いつもライフジャケット着て泳いでいる。
深いところも全然怖がらず、ライフジャケットで浮いて泳ぐことをとても楽しんでいる。
少し離れたテトラポットまで行けるようにもなった。犬かきで。
更に、上向きで手足を広げて浮くこともできるようになっていた。
海が怖くないということで満足だった。
そう、昨年の年少のときは海を楽しむことで充分だった。
しかし、ライフジャケットを着た状態では「泳げる」とは言えず、小学校では泳ぎを学ばない、ここからどうしたらいいのか?皆目見当がつかない。
「このままでは泳げなくなる!」と私はとても焦ったのである。
娘は顔つけることもできなかった。
そして、少し考えた。
海の水が目が入るのは大人も嫌なのだから、子どもだって嫌だろう。では、マスクとついでにシュノーケルを与えてみるか と。
ちなみに、私は小学生までゴーグルもマスクもせず海で遊んでいたので、マスクやシュノーケルは早すぎるという気持ちもあった。
娘が初めて泳いだ!
シュノーケルとマスクを与えてみたら、大喜びで家でもつけている。教えてもいないのに正しく。
私が、マスクとシュノーケルは海には欠かせないものとして、よくつけているのを知っているからか…。
余談だが、体験ダイビングをアシスタントしていたときは、マスクとシュノーケルを戸惑う大人も多いというのに、娘はふつうにつけてる。
シュノーケルを噛むのだけは教えたかもしれない。
そして、海でも普通にマスクとシュノーケルをつけて、ライフジャケットを来て、顔も水につけスイスイいけている。
この勢いでライフジャケットもぬいでいけるんじゃない?とふと思って、ぬぐように勧めたら、本人もぬいでみると。
そして、マスクとシュノーケルで、すーーっと目の前を浮いて、手足を動かしていってしまった。4歳10カ月。泳いだ。
拍子抜け、とはこのことだ。
更に、横には同級生の男の子もマスクとシュノーケルをつけ、ライフジャケットをぬぎ、すーっと泳いでいる。
うわ~、人間って教えなくても泳げるんだ!と胸いっぱいになった。
思えば、娘の初の寝返りは仕事の打ち合わせで、反対を向いていて見られなかった。あれ?なんか転がってない?と。
初めて立った時も、ハイハイ時期が長すぎてやっと立ったと、そう感動もしなかった。
寝返りも立つことも、いつかはできると思っていたから。
まさか、泳ぐこともその延長だったとは驚いた。
小学校の時、バタ足の練習とかさせられたけれど、あんなのなくても泳げるようになるんだと実感した。
下の写真は、泳いだ後に沈むのを楽しんでいた様子。
地元の人の「勝手に泳げるようになる」論。これはある意味事実だった。きっと彼らにはこの経験則があったのだ。
わたしのような、小学校のプールで泳げるようになった人間が知らなかっただけなのだと。
なんというか、本当に学校で習うことが全てではないのだなぁと、人間は機会さえあればいろいろなことを教えずともできるようようになるのだと改めて気づかされる出来事だった。